当店誕生秘話

当店の誕生については、約40年前のオーナー(男性)の幼少期にまでさかのぼります。

 

幼少期のオーナーは大変病弱でした。いつも体のどこかが悪く、さまざまな病院に通院していました。そのようなオーナーに対して、家族はとても温かく接してくれました。父は「体が丈夫になるように」と、スポーツを勧めてくれたり、また休みの日は一緒にキャッチボールをしてくれたり、とにかくいろいろな意味でサポートしてくれました。母も同じく、毎日の献立を「健康に良いものを」と、特に食事面でのサポートをしてくれました。両親のおかげで、小学校高学年になるころには、ほとんど病院に通わなくて良いくらいの丈夫な体になることができました。両親の献身的なサポートには、今でもとても感謝しています。

 

そのような家庭環境で育ったオーナーは、学力が多少あったこともあり、地元の私立中学に進学することになりました。その時に「大事件」が起きました。親族同士で「もめごと」が勃発してしまったのです。

 

その「もめごと」は約10年間続きました。その過程で、オーナーも「松本」姓⇒「野田」姓に変わりました。姓が変わった当時、京都大学に通っていましたが、周囲には「松本茂之から野田茂之に名前が変わった」とだけ伝えて、詳しいことは話しませんでした。とても恥ずかしかったからです。また同時にたくさんのものを失いました。法的措置として、闘争してしまった親族と「絶縁」になったためです。その時に、あることに気づきました。「人は些細なことから大きな災いを招いてしまう。そして、取り返しのつかないことになってしまう」

 

思えば、この「気づき」が、オーナーが「占い師」としての道を歩むきっかけでした。京都大学では、工学部から大学院工学研究科に進み、修了後は地元・愛知県に戻ってきて自動車メーカー(トヨタ)に勤務しました。技術者として働いていましたが、その時から「自分と同じような思いを、他の人には味わってほしくない。もっと人のためにお役に立ちたい」との想いが強く、その時に知り合った『令翠学』の先生(今の師匠)の勧めもあって、「占い師」の道を本格的に歩むことになりました。

 

会社員をやりながら、副業で「占い師」をしていましたが、その過程でさまざまなことを勉強しました。「心の世界」や「見えないものの存在」などなど。また、幼少期に病弱だったこともあり、「体のケア」も勉強しました。これは、悩みを抱えているお客様は体の調子も悪いために、「ただの占いのアドバイスだけでなく、すこし医療的なアドバイスもして差し上げたい」との想いがあったためです。それともう1つ、高校生の時に「医者になるかエンジニアになるか」で悩んで、医者にならなかった後悔の気持ちもありました(医者にならなかったのは生理的に血を見るのが苦手だからです)。その想いから、今度は「整体師」としての道を歩むことにもなりました。(逆説的な話になりますが、今では医者にならなくて良かったと思っています。なぜなら、医者になっていたら「心と体の両面からのサポート」はできなかったと思うからです)

 

会社の方では、役職が上がるにつれてかなり忙しくなりました。一方、副業の方も常連のお客様が増えてきて、こちらも忙しくなりました。中学生以降は大きな病気をしたことはありませんでしたが、それほど体力に自信があるわけではないオーナーは、「これでは体がもたない」との想いと、「自分の本当の使命はモノづくりではなく、人助けである」との想いから、会社を退職する決断をしました。2019年に入ってからでした。その決断をするにあたっては、一番近くにいるオーナーの妻と、オーナーをサポートしてくださっていた自営業の先輩方に、たくさんアドバイスを頂きました。(もちろん自分の運勢がこれから飛躍していくことも分かっていました) 

そして、オーナーの妻も、一緒にお店をやってくれる、という大変ありがたい決断をしてくれました。この時が「ヒーリングハウス フルフル」が誕生した瞬間でした。

 

昔、「心の世界」の勉強をしていた時に、ある尊敬する先生から「人生で必要のない出来事は1つもない」「人が苦しい思いをするのは、将来同じように苦しんでいる人たちを助けるためである」という2つの言葉を頂きました。今こうしてお店を営むことができるのも、この2つの言葉のおかげのように思います。「これからの人生のすべてをかけて、少しでも多くの人をお助けするお手伝いをしていきたい」、これがオーナー夫妻の願いであり、誓いでもあります。

 

ここまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました。